トップページ管理人の素性>4月24日:広沢タダシ『喜びの歌』ライヴレポート<完全版>

4月24日

待ちに待った広沢タダシのライヴに行った。

例によって会場のON AIR EASTへの道を間違えたが、フィーリングで道を選び運良くすんなりとたどり着くことが出来た。

カメラや録音機の持ち込み禁止で荷物チェックまでするということが少し驚きだった。まあ考えてみればその方が主催者側として無難だろう。使い捨てカメラを買って行かなくて良かったと思った。

割と狭い会場で立ち場所を決めるのに困ったが、どこに立ってもステージは近いので左端の柵際に立つことにした。独りだと端っこが落ち着く。

空のステージを待つこと約一時間、会場のライトが消え霧のようなスモークが立ちこめた。

黄金色のライトと青白い乱反射の光と共に、ステージに5人の影が現れる。そして1曲目「ルームサービス」が始まった。

それまで聴いたことの無い音だった。爆音、と喩えるにふさわしい大音響。ドラムとギターとベースの全てを破壊するかのようなそのビート。圧倒的なその音の嵐は、頭からつま先まで体中に響いた。ドグンドグンと音がまるで胸を直接叩いているみたいな感覚。鼓動とビートがシンクロした。
音量はある程度予想していたけど、それでも度肝を抜かれるような感覚でのスタートだった。

最初タダシは少し硬くなっていたように見えた。でもそれも無理ないだろう。彼にとって初のワンマンライヴなのだから。1曲目に続きそのまま2曲目に入った。2曲目は知らない曲だった。

2曲目が終わったところで彼は「みんな、今日のライブ楽しみにしてたかな?でもみなさん以上に僕の方が楽しみにしていたんです」と喋った。会場から「負けねぇぞ!」と声があがったのに対し「僕の方がね、楽しみにしていました」と強調的に繰り返したところが何だかかわいかった。
その後「後悔しないようなライヴにしたい」というようなことを語った。また「みんなもここで全部出していって欲しい」というようなことも言った。何を出せばいいんだ?とか思った。

2曲過ぎた辺りで、自分が汗をかいているのに気付いた。体中が熱かった。会場のテンションと温度も明らかに上がっていた。

3曲目以降で気付いたが、彼は声の通りが素晴らしく、ギターも上手かった。そりゃプロだからそうかもしれないけど、でも実際生で聴いてみてこれほどか、と思った。CDよりもはるかにきれいで響く声に感じた。詞や曲に惹かれて好きになったけど、生の歌声を聴いてますます好きになった。

ソロで歌っている時彼は観客側からのスポットライトを顔に受けてまぶしそうだった。と同時にこちらからはっきりと彼の表情が窺えた。
ここら辺では既にタダシの硬さはほとんど感じられなくなり表情・動きにも余裕が見られた。

広沢タダシは関西人だけあって笑いも忘れない。自宅のテレビが壊れて新曲「愛はひとつ」を作ったエピソードなどは笑えた。「いつもはなんとなくそれが僕のすべて」というような詞だ。普段なんとなく存在しているが、失うと困るもの、ということか。

何曲か歌った後の「今日は珍しく汗かいてます。長袖なのがいかんのか」という冗談半分の何気ない彼の一言は、結構印象深い。彼にはどことなく素朴でクールな印象がある。熱くなりすぎず変にかっこつけたりもしない、とても素朴な冷静さ・落ち着き。「珍しく熱くなって汗をかいている」という表現はそういった彼のイメージを彼自身が認めているということだろうか。

ソロでは「History」も歌っていたが、これはそもそもライヴで乗れるような歌ではない。むしろ、会場のテンションを下げかねない歌だ。しかし、会場は手拍子で曲についてくる。彼は最後のサビの直前でおもむろにギターを止め、「ふー、疲れた」などと言って会場を和ませる。これは意外なパフォーマンスだ。そしてその後、会場の手拍子をあおる。「だんだん(手拍子が)はやくなってるんですけど」などといって会場を笑わせる。そして場の勢いもついてきたところで再びギターを鳴らし始め、クライマックスを歌う。さらに曲の終わりではギターをこれでもかというほどまでにしつこく見事に打ち鳴らし、結果としてその激しいテンションがより強く印象に残る。CDでの「History」のネガティブなイメージは感じさせなかった。CDでのネガティブっぽさも僕としては結構好きなのだが、こういうパフォーマンスもライヴでの場の盛り上がりを大切にするのには悪くない。

曲の終わりで必ず入る「アリガトウッ!」という語尾を上げる独特の言い方のセリフが印象的だった。
また、歌の前の喋りでよく入れる「目ェ覚めてきた?」というフレーズに意味深いものを感じた。

「もしもうたえなくなっても」では5人の音が大きく力強いものの、ハーモニックに調和しているようだったが、
「手のなるほうへ」では一転して喧嘩するかのようにそれぞれが手加減なしで凄まじい音の主張を繰り広げた。だがその中でさえタダシの歌声はよく響いた。これにはしびれた。体中の細胞全てで音を感じ取っているような感覚に陥った。音に身を任せていると自然に体がリズムを刻む。

曲を重ねていくうちに、立ちっぱなしの体の痛みと共に次第に意識が戻ってきた。すなわち、少し冷静になってきた。それまで圧倒されて取り憑かれたような感覚だったが、段々と体も精神も状況に慣れてきたようで、少し飽きてきた。そこで視線をタダシだけでなく色々なところに配ってみた。体で音頭を取る聴衆たちや、光の連続変化による天井の影の変化、スモークのチンダル現象などにも目を向けた。煙の動きを見てみると、明らかに音というか、5人から発せられる波動に共鳴している。拍手するのもめんどくさくなってきたので、自分がやらなくても周りがみんなやると思い、周りの人に任せた。すると拍手自体も聴き手としての対象になる。会場全部が見どころにもなると感じた。そして一通りのものを見渡したら、時折目を閉じて音と響きだけの世界を味わった。

「スーパースター」は個人的には詞があまり入り込めない。が曲は結構乗りやすいリズムだ。でもなぜかこの曲ではタダシの音程が終始半音ほど高くずれていた。さすがにあれだけ歌えばのども疲れてくるか。

状況に慣れてきたといっても、しかしながら、この心臓が吹っ飛びそうな内臓や骨までの激しい音の振動はやはり相変わらずだ。こんなにハイな気分になったのは久方ぶりだ。

最後の曲「朝」のあと当然のようにアンコールがかかり、3分から5分くらい続いたように感じる長い手拍子の後、タダシ一人が戻ってくる。「アリガトウッ!今夜は何かぐっすり眠れそうだ」というようなセリフを口にしたのが印象に残った。そしてタダシが改めて紹介しながらメンバーが一人ずつステージに戻ってくる。メンバーそれぞれ、犬好き・猫好き・女好き・ビタミン好きなどと冗談半分なこの紹介の仕方にも笑わされた。

アンコールの1曲目「ふたつの願い」は知らない曲だったが
「このまま、このまま、このままでいられたらいいね」のサビの小節の繰り返しが印象的でどこかで聴いたことがあるような感覚を覚えた。

2曲目、これが最後の曲となったがやはり「喜びの歌」。これをやらないでライヴイベント名が「喜びの歌」はないだろうと思っていた。「喜びの歌」はアルバムのタイトルでもある。何度もCDで聴いていたので前奏が始まった時すぐ分かった。とても落ち着きのある詞と幅のある曲で僕はかなり好きだ。ゆったりと癒されて、それでいて気分もハイになる。奇蹟のデビューアルバムの主題曲と呼ぶにふさわしい歌だ。ライヴの最後を締めくくるにもふさわしい。大音響での生の歌はやはりCDの何十倍も響いた。そして最後の最後まで彼は見事な音と歌声を放ち続けたのだった。

……。

本当の意味では最初の曲から最後の曲までリアルさはそれほど感じなかった。むしろ全然リアルじゃない、全て夢の中の出来事のようだった。ほんの十メートル足らずの距離で待ちに待った生の広沢タダシの迫力あふれる音楽をときどき本人と目が合いながら全身で感じる。そんなことも僕にとってはまるで現実感が無いことだった。

僕のリアルは全てが終わり、ステージに演奏者が誰もいなくなった後、スピーカから流れる「今日の証」と共に、名残惜しそうな、半分疲れて生気を失ったような聴衆たちの、亀のようなペースでぞろぞろと会場を後にする姿。そして再び押し寄せる孤独感と不足感に気付く自分の姿だった。

家に帰った後、当たり前のように夕食を取り、テレビを見ながら家族と談笑し、猫をじゃらしてくつろぐ。そんな半分マンネリの日常に虚脱感を覚える。今の僕は夢と現実のギャップがでかすぎる。あまりにも。

床に入ったが、漠然とした失望感に襲われなかなか眠れない。そこで広沢タダシのアルバム「喜びの歌」をかけた。すると今日のライヴでのあの鮮烈なイメージが甦る。リズムを取りながら思わず歌詞を口ずさんだ。

驚いたことに、自分が曲に合わせて歌ったときの感覚が明らかに今までと違う。体の底からリズムと音が出るような感じだ。ライヴでのあの心臓も記憶も吹っ飛びそうな激しいビート・音の鼓動が自分の中に今まで眠っていた「音楽」を呼び覚ました。そんな感じさえした。その何とも言えぬ目新しい気分のまま最後までアルバムを味わった。

夢の音楽はわずかに現実のものとして僕の体と心に現れたのだった。またいつか彼のライヴに行きたいと思った。